TechLetters-004:量子コンピュータは製薬・化学分野への応用論文数が急伸! 3万7千件のイノベーションデータの解析で判明した、量子コンピュータに関する研究資金と論文の最新動向

TechLetters-004:量子コンピュータは製薬・化学分野への応用論文数が急伸! 3万7千件のイノベーションデータの解析で判明した、量子コンピュータに関する研究資金と論文の最新動向

著者:アスタミューゼ 源泰拓 博士(理学)

はじめに

スーパーコンピュータ(スパコン)をはるかに上回るとされる「量子コンピュータ」。その言葉を目にしたことのある人は多いことと思います。では、「量子コンピュータとは何か?」を調べると、 

  • 原子や電子など「量子」の持つ性質を利用して情報処理を行う 
  • 0と1を重ね合わせた複雑な状態を扱うことで並列処理が可能 
  • 量子ゲート方式と量子アニーリングの2つの方式がある 

……と、その動作原理やマシン開発の動向はなかなか理解が難しいです。

近い将来に量子コンピュータが活躍する可能性が高い技術領域として、 

  1. サイバーセキュリティ・暗号 
  2. 製薬・化学 
  3. 金融・フィンテック 
  4. 物流 

の4分野に関係する情報を、アスタミューゼのデータベースから抽出し、その推移を調査しました。 

製薬・化学の研究開発に量子コンピュータを活用する研究が激増

本稿ではグラント(競争的研究資金)と論文のデータを用いました。

グラントとは、大学や研究機関などに配賦される研究資金です。その採択の可否は、専門家を含む複数の人が、提案された研究プロジェクトを科学的・技術的観点から評価することで決定されます。採用されたグラントから「資金を投入する」という判断が下された技術が何かを窺うことができます。

論文が研究成果の発表であるのに対して、グラントは、これから研究成果が期待できるプロジェクトのため、グラントには先行指標としての役割も期待できます。 

図1:サイバーセキュリティ・暗号、製薬・化学、金融・フィンテック、物流に関係する、量子コンピュータ関連グラント件数の推移(直近の2021年のデータは未公開、あるいはデータベースの登録がないものがあるため表示していない)

図1に、2000年以降の量子コンピュータに関連する世界のグラント件数(=資金を獲得した研究プロジェクトの数)の推移を示しています。2000年以降に開始されたグラント4,674件の中から、用途が明記されているものを集計しました。2010年代半ばまではサイバーセキュリティ・暗号に関するグラントが最多だったのに対し、20210年代後半から製薬・化学に関係するプロジェクトがトップに躍り出て、さらなる増加を示していることがわかります。金融・フィンテック、物流に関係するグラントも漸増していますが、サイバーセキュリティ・暗号と製薬・化学には及びません。

図2:サイバーセキュリティ・暗号、製薬・化学、金融・フィンテック、物流に関係する、量子コンピュータ関連論文数の推移(2000年~2021年)

2000年以降に発表された量子コンピュータに関する論文の数は約3万3千本でした。そのなかで、用途についてabstractで言及されている論文の推移を図2に示しています。縦軸は、その年に発表された論文の数です。2021年までサイバーセキュリティ・暗号が首位を保っていますが、製薬・化学の猛追も目を引きます。金融・フィンテック、物流に関係する研究も着実に進められているようですが、爆発的な伸びは、まだ見られません。 

量子コンピュータの得意分野

量子コンピュータがスゴイ、とされるのはその計算スピードです。たとえば日本のスパコン「富岳」だと1万年かかるような計算を量子コンピュータにやらせると、4分弱で終わってしまう、という研究結果もあります。

参考:https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2019/10/news/news_191024-2/

ただし、量子コンピュータは、ごくわずかな調整のずれで計算結果が変わり、誤りが発生します。この誤りを訂正しながら計算を進める量子コンピュータの開発は、内閣府が2020年に定めた「従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)」に挙げられています。

参考:https://www.jst.go.jp/moonshot/program/goal6/index.html

裏を返せば、量子コンピュータで誤りのない答えをきっちり出すのは、「月を撃つ」レベルの困難な課題とされています。そのため、帳簿の計算のような、唯一の答えをきちんと出す、という目的には、現在開発中の量子コンピュータは不向きといえます。 

一方で、膨大な数を検証して、その答えが一定の範囲に収まっていく(収束していく)ような問題が、現在の量子コンピュータの得意とするものです。典型的なものとして、いろいろな組み合わせの中で妥当な結果を見出していく「組み合わせ最適化問題」があります。代表的な例として、 

  • セールスマンがある都市から出発し、全ての都市を訪問して、出発地点に帰る場合、どのような順番で回るのが最短経路になるのか(巡回セールスマン問題) 
  • ナップサックに大きさと値段がまちまちな荷物を詰めるとき、どう組み合わせれば合計金額が最大となるか(ナップサック問題) 

などが挙げられます。 その応用問題として、 

  • 材料の物性と構造のデータを全て組み合わせ、薬や化学品としての最適解を導出するマテリアルインフォマティクス 
  • 離島、宇宙ステーションや災害地など輸送キャパシティが不十分な状況での物資輸送の最適化 

など、製薬・化学や物流には、組み合わせ最適化問題として解かれる問題が幅広くあるといえます。 

例えば、2021年にNew Journal of Physics誌で発表された論文(注1)では、量子コンピュータを用いた数値計算によってタンパク質のフォールディング (おりたたみ)の構造を立体的に把握する試みを報告しており、分子生物学、創薬、触媒設計などへの応用が期待されます。 

(注1)Outeiral, C., Morris, G. M., Shi, J., Strahm, M., Benjamin, S. C., & Deane, C. M. (2021). Investigating the potential for a limited quantum speedup on protein lattice problems. New Journal of Physics, 23, 103030.

暗号をめぐる「いたちごっこ」

膨大な組み合わせの中から迅速に最適解を探し出す、という量子コンピュータの能力をもってすれば、現在使われている暗号はあっという間に解かれてしまう、という危険性が指摘されています。悪用されれば、金融システムなどが根本から覆ってしまう可能性すらあるため、量子コンピュータでも解読できない暗号技術が開発されています。

その一つが「量子暗号」で、光子(光の粒子)の状態で暗号鍵を送るものです。光子の暗号鍵は傍受されると状態が変わるので、当事者に知られることなくハッキングすることはできません。本稿では、量子暗号もサイバーセキュリティ技術分野の一つとして、分析対象に加えています。 

パデュー大学(米国インディアナ州)のパデュー量子科学工学研究のグループは、2021年、Physical Review Research誌で、量子状態に基づいて暗号文のブロックを生成する量子暗号化プロトコルを提案しました(注2)。暗号鍵の一部が公開された場合でも解読は困難で、その他の攻撃も防御を破ることはほぼできない、としています。 

(注2)Li, J., Hu, Z., & Kais, S. (2021). Practical quantum encryption protocol with varying encryption configurations. Physical Review Research, 3(2), 023251.

「量子コンピュータの使い方」の未来予測

ここで、論文・グラントそれぞれについて、サイバーセキュリティ・暗号、製薬・化学に関係する研究の伸び率を見てみましょう(図3)。 

図3:グラント件数、論文数の伸び率。2010年のグラント件数、論文数を1とする

製薬・化学への応用に関するグラント・論文が急伸しています。一方でグラントは頭打ち、論文も伸びが鈍化している、というサイバーセキュリティ・暗号の傾向は、一般的には研究開発から実用化、ビジネス化への移行期にあるのでは、と推論されるところです。

しかしながら、この量子コンピュータ×サイバーセキュリティに関する研究開発は軍事・安全保障上の重要性を踏まえて米国と中国が覇権を争っている技術領域の一つです。競争的研究資金に頼らない研究機関、論文として公表されない研究成果が多く存在すると考えるべきでしょう。公開情報だけで判断すると、全体の趨勢を見誤る可能性があります。 

高い精度での技術動向の分析を行うためには、データを見るだけではなく、昨今注目を集める「経済安全保障」の観点など、当該技術領域の背景を理解する必要があります。量子コンピュータ関連技術はその典型的な一例といえるでしょう。

さらに詳しい分析は……

アスタミューゼは世界193ヵ国、39言語、7億件を超える世界最大級の無形資産可視化データベースを構築しています。同データベースでは、技術を中心とした無形資産や社会課題/ニーズを探索でき、それらデータを活用して136の「成長領域」とSDGsに対応した人類が解決すべき105の「社会課題」を定義。

それらを用いて、事業会社や投資家、公共機関等に対して、データ提供およびデータを活用したコンサルティング等のサービス提供を行っています。

本件に関するお問い合わせはこちらからお願いいたします。

本件レポートを
ダウンロードできます その他、未来の成長領域
136に関わるレポートも販売中
ダウンロードはこちら