「バイオものづくり」が変革する化学・製造業の未来 :グラントとスタートアップから見える研究開発のいま

「バイオものづくり」が変革する化学・製造業の未来 :グラントとスタートアップから見える研究開発のいま

著者:アスタミューゼ株式会社 神田 知樹 修士(工学)

「バイオものづくり」「合成生物学」とは?

「バイオものづくり」とは、生物、特に微生物の能力を活かして、有用物質の生産を行うことを指します。ヨーグルトなどの発酵食品、ペニシリンなどの抗生物質のように、食品や薬品の製造に微生物を活用すること自体は古くから行われています。

近年、ゲノム編集やDNA合成など、生物の遺伝子を改変するバイオテクノロジーが急速に発展しました。その技術を活かし、生命機能の設計や生物システムの構築を人工的に行う、「合成生物学」という学問分野が誕生しました。合成生物学を用いて、化学反応により目的物質を生成する生物の創造が進められた結果、微生物に作らせることができる物質の種類が拡大しました。

生物の体内での化学反応(代謝反応)は、その多くが数百℃への加熱や高い圧力を要さない、温和な条件で進行します。また、原料はバイオマスやCO2等、化石燃料に頼らないのも特徴です。そのため、バイオものづくりは、エネルギー消費が少なく、カーボンニュートラルへ貢献する製造手段の1つとして期待されています。

経済協力開発機構(OECD)は2009年に、生物資源とバイオテクノロジーを活用して、持続可能な経済社会を目指した概念である「バイオエコノミー」を提唱しました。その市場は2030年にOECD加盟国のGDPの2.7%に達し、そのうち39%をバイオものづくりが主な対象とする工業分野が占めると予測されています。

OECDによるバイオエコノミーの提唱を受けて、バイオテクノロジーによる産業振興を目指した政策が世界各国で行われています。日本では「2030年に世界最先端のバイオエコノミー社会を実現する」ことを目標とした、バイオ戦略が2019年に策定されました。日本のバイオ戦略は毎年更新されており、バイオマス素材等のデータ基盤の構築や、居住環境や製造設備の整備を含めたコミュニティの創出など、研究開発の環境を改善するための取り組みが行われています。

先行して微生物が活用されていた食品や医薬品にとどまらず、衣料や容器、化粧品など幅広い産業分野で、バイオものづくりの利用に向けた研究開発が進められています。本稿では、バイオテクノロジーを活用し、微生物の代謝反応を利用した、化学品の製造に焦点を当てて、バイオものづくりの開発動向を見ていきます。

「バイオものづくり」に関連するスタートアップ企業の資金調達額と設立数

スタートアップ企業は、新しいテクノロジーによって社会や既存企業に大きな影響を与えることが期待されており、その資金調達額は社会の期待値を反映していると考えられます。

アスタミューゼでは、キーワード出現数の年次推移を算出することで、近年伸びている技術要素を特定する、「未来推定」という分析により萌芽的な分野の動向予測をしています。キーワードの変遷をたどることで、すでにブームが去っている技術やこれから脚光を浴びると推測される要素技術を可視化することができ、これから発展する技術や黎明・萌芽・成長・実装といった技術ステータスの予測が可能となります。

図1に2013年から2022年までの、バイオものづくりに関わるスタートアップ企業の会社概要に含まれているキーワードの年次推移を示します。

図1:バイオものづくりに関連するスタートアップ企業の概要に含まれる特徴的なキーワードの年次推移

ここでの成長率(Growth)は全期間の文献内における出現回数に対する、直近5年間の出現回数の割合を表します。その数値が1に近いほど直近に多く出現しているとみなせます。

成長率の高い語は、微生物に関する語や、biomanufacturing (バイオマニュファクチャリング) などのバイオテクノロジーを用いた製造自体を指す語で占められています。先進的な技術要素はスタートアップからは見受けられず、バイオものづくりは社会実装には至っていないと考えられます。

図2は、2013年から2022年における、バイオものづくりに関するスタートアップ企業の設立された社数と資金調達額の推移を示しています。設立社数は2013年以降増加して2020年に最大となっているのに対し、資金調達額は年々増加しています。

図2:バイオものづくりに関連するスタートアップ企業の設立数と資金調達額の推移(2013~2022年)

図3は国別でのスタートアップ企業設立件数です。米国が突出しており、英国、中国が続く形となっています。

図3:バイオものづくりに関連するスタートアップ企業の国別設立数(2013~2022年)

米国では、バイオテクノロジー関連の企業や研究機関が集中的に立地する地域である、「バイオクラスター」が先行して形成されているという特徴があります。世界最大規模のバイオクラスターと呼ばれるマサチューセッツ州ボストンでは、ハーバード大学やMITなど世界有数の大学研究者によって、1980年頃にBiogen社やGenzyme社などのバイオベンチャーが設立されました。それに伴い、企業と大学の共同研究が進み、バイオベンチャーへの投資も他の地域に先駆けて拡大しました。

2008年には、マサチューセッツ州の政府により、ライフサイエンス法が制定されています。この政策により、スタートアップへの融資・研究設備の整備・人材育成・税制優遇などに10年間で10億ドルを拠出することとなり、バイオベンチャーの設立・投資がさらに加速しています。

このような、大学・研究機関・バイオテクノロジーのスタートアップ・投資が揃ったコミュニティが早期に形成されていることが、バイオテクノロジーを用いた製造技術であるバイオものづくりにおいて、米国の優位性となっていると考えられます。

以下ではバイオものづくりに関連する、資金調達額上位のスタートアップ企業の一部を紹介します。

  • PhaBuilder
    • https://eng.phabuilder.com/
    • 所在国/創業年: 中国/2021年
    • 累計資金調達額:約1億1,000万米ドル
    • 事業概要:好塩菌を用いて、PHA(ポリヒドロキシアルカノエート)を製造し、生体適合性材料や化粧品、繊維、食器等を提供。
  • 21st.BIO
    • https://21st.bio/
    • 所在国/創業年: デンマーク/2020年
    • 累計資金調達額:約9,700万米ドル
    • 事業概要:特定の遺伝子を挿入した微生物の発酵を利用して、目的分子を生成する、精密発酵技術を提供し、有用物質製造を支援するプラットフォーム企業。
  • Arcaea
    • https://www.arcaea.com/
    • 所在国/創業年: 米国/2021年
    • 累計資金調達額:約7,800万米ドル
    • 事業概要:美容・化粧品に特化し、合成生物学を用いて新成分の開発を行い、ワキガ対策剤などのスキンケア製品を提供。

「バイオものづくり」に関するグラント(競争的研究資金)の動向

グラント(科研費などの競争的研究資金)には、まだ論文発表に至っていない、新たなアプローチや研究に対する資金が含まれています。

図4に2013年から2022年までの、バイオものづくりに関わるグラントの研究概要に含まれているキーワードの年次推移を示します。

図4:バイオものづくりに関わるグラント文献に含まれる特徴的なキーワードの年次推移

bio-foundry(バイオファウンドリー:バイオ由来製品の生産性を向上させる、培養・運搬・製造等の技術)などバイオものづくりを支える技術要素の他、bioplasticsやplastic-degrading(生分解性プラスチック)など、バイオプラスチックに関連する技術要素が見られます。バイオものづくりによって製造されるプラスチックは、原材料に化石燃料を用いていない点に加えて、微生物によって二酸化炭素と水に分解される生分解性という性質があります。プラスチックによる土壌や海洋の汚染が大きな環境問題となっていることを背景に、バイオプラスチックに関する研究プロジェクトが積極的に採択されていると考えられます。

また、成長率上位の用語には、sakaiensis(Ideonella sakaiensis:PETを分解し、生分解性プラスチックPHAを体内に貯蔵することが見出された細菌)や、plastisphere(ヒトが廃棄したプラスチックのある環境下で発展した新たな生態系)などの語が見られ、生分解性を持たないために環境汚染の原因となっている従来のプラスチックを原料とした製造技術の一端が見られます。

図5は、2013年以降のバイオものづくりに関連するグラントプロジェクトの件数が上位の5か国の動向です。ただし、中国のデータは年によって開示状況が異なり実態を反映していないため除外しました。

図5:バイオものづくりに関連する研究プロジェクト件数の国別の推移(2013~2022年)

図6は国別の研究プロジェクト配賦額推移です。配賦金額はプロジェクト期間で均等割りし、各年度に配分して値を集計しています。たとえば3年計画で3万米ドルのプロジェクトは、各年に1万米ドルを計上しています。

図6:バイオものづくりに関連する研究プロジェクト賦与額の国別の推移(2013~2022年)

件数では米国が1位である一方で、研究配賦額ではEUが1位となっています。研究配賦額はEUに米国が続き、他国と大きく差をつけています。EUと米国では、早期からバイオエコノミーに関する政策が展開されてきたという背景があります。

EUでは、持続可能な成長と資源効率を目指した政策「Innovation for Sustainable Growth: A Bioeconomy for Europe」が2012年に発表されています。その中の2014年から2020年にかけた研究開発プログラム「Horizon 2020」では「食料安全保障、持続可能な農業、海洋および海事研究、およびバイオエコノミー」の領域に約47億ユーロ(約50億米ドル)を投資することが提案されました。また2024年3月にはEU域内でのバイオテクノロジーやバイオものづくりの強化に向けた政策文書を欧州委員会が公表しました。

政府・民間の投資促進やバイオ由来製品の市場拡大を狙った環境影響の評価方法確立などが盛り込まれており、バイオものづくりの研究開発への投資は今後さらに拡大していくと考えられます。

一方、米国では、オバマ政権から、バイオエコノミーの実現に向けた戦略事項をまとめた「National Bioeconomy Blueprint」が2012年に発表されました。研究開発への投資、市場への移行支援等が述べられており、バイオテクノロジーを用いた物質製造への投資に前向きである姿勢が示されています。

また、2022年に、バイデン大統領が国内バイオ産業振興に関する大統領令に署名しました(注3)。具体的な取り組みとして、国内バイオ製造能力の拡大、バイオ製品の市場機会拡大、研究開発の推進、といった内容が挙げられており、米国においても、今後バイオものづくりの研究開発への投資が拡大していくと考えられます。

以下に、バイオものづくりに関連する配賦額の高いグラントの事例を紹介します。

  • MIP: BioPolymers, Automated Cellular Infrastructure, Flow, and Integrated Chemistry: Materials Innovation Platform (BioPACIFIC MIP)
    • 機関/企業:University of California, Santa Barbara
    • グラント名/国:NSF/米国
    • 研究期間:2020-2025年
    • 配賦額:約2,000万米ドル
    • 概要:酵母や真菌、バクテリアを用いた、高分子材料の製造を支援するシミュレーションプラットフォームを開発するプロジェクト。機械学習も用いて、目的の物性を持つポリマーを製造するための遺伝子設計を行う。
  • Future Biomanufacturing Research Hub
    • 機関/企業:University of Manchester他
    • グラント名/国:EPSRC /英国
    • 研究期間:2019-2026年
    • 配賦額:約1,300万米ドル
    • 概要:香料・バイオマス由来のポリマー・生体材料等の分野を対象に、大規模なバイオ製造プロセスの開発を行うプロジェクト。微生物による発酵を活用して、化石燃料や貴金属触媒を用いる化学製造プロセスの代替を目指す。
  • SCALIBUR: Scalable Technologies for Bio-Urban Waste Recovery
    • 機関/企業:ITENE research centre 他
    • グラント名/国:CORDIS/EU
    • 研究期間:2018-2022年
    • 資金調達額:約1,200万米ドル
    • 概要:微生物による発酵プロセスを用いて、食品廃棄物等の廃棄物系バイオマスを原料に、農薬やプラスチック等の製造技術を開発するプロジェクト。

投資が拡大し、社会実装が目前なバイオものづくり

バイオものづくりにおけるスタートアップの企業数や資金調達額は増加傾向にある一方、キーワード分析の結果では先進的な技術要素は少ない傾向が見られました。特徴的な製品が出現したのは直近であり、成長段階にあるものの、バイオものづくりは社会実装には至っていないと考えられます。

一方でグラントは、特にバイオプラスチックに関連する技術要素が確認されました。少数ながら廃棄物を原料とした有用物質製造に関する技術要素・事例も確認され、研究配賦額も増加傾向にあり、大学や研究機関での研究開発は継続して行われています。

政府や民間の投資がバイオものづくり分野に呼び込まれている背景には、物質製造における、化石燃料への依存度を下げ、脱炭素社会及び持続可能な経済成長の実現に貢献する技術としての期待があると考えられます。

研究配賦額はEUがトップであり、政策に力を入れているものの、企業数は米国トップでした。他国に先駆けてバイオテクノロジーの開発に力を入れた結果、研究機関からスタートアップが生み出されるコミュニティが先行して作られていることが、米国の強みとなっていると考えられます。

バイオものづくりの領域は、現在は研究開発段階にありますが、社会実装段階への早期移行が予想されます。その際に、原料・製造工程・最終製品が環境負荷の軽減へ真に貢献するものとなるかどうかが強く問われていくことになるでしょう。

著者:アスタミューゼ株式会社 神田 知樹 修士(工学)

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